(このサイトは旧サイトとなります。
新たにhttps://w.atwiki.jp/remember11/pages/1.htmlにて
考察をまとめ直しています。) 

・本当の真相(1)


沙也香を殺したセルフは悟自身
セルフだと思った時計台の影も悟自身
アイツ(セルフ)の記憶移植だと思っていた記憶障害を起こしたのも悟自身

悟のセルフに関する考えは全て冤罪で、いずれも犯人は悟自身でした。

カーリーの「誰の言うことも(悟自身も)信じてはいけない」という言葉と
オレ悟の「全ては誤解だった」という言葉は、
この真相をも指していたのでしょう

しかし、我々もセルフ(プレイヤー)のせいだと
思いこんでいた部分は無いでしょうか?

ユウキドウ計画を知った私は、あの終わりを
『ユウキドウ計画が成立した結果プレイヤーが困惑したから』
と考えていました。
その考えも悟と同様、誤解だったとしたら?


実は、オレ悟の記憶障害が記憶喪失だったということが、
あの終わりに解決をもたらしてくれます。

では、なぜあのような終わりを迎えることになったのか?

それは

沙也香の記憶を失ったオレ悟が、黛に否定されるから、です。


そのままじゃないか、と思ったでしょうか?
順に考えていきましょう。
沙也香のために生きてきたと言っても過言では無い悟が、
沙也香の記憶を失って残るモノは何か?

それは、黛の記憶と思い出

沙也香に関する記憶を失ったオレ悟に残るのは、
こころ達の断片的な記憶を除けば、黛の記憶だけでしょう。

そんな彼がやっと、こころの体ではなく自分の体で黛と再会出来た。
そう思っていたのに、榎本の体と入れ替わっていたがために、
その自分自身を黛に否定される。
直後に物語は終わり、我々プレイヤーはその先を見ることができなくなる。


そこから導き出される答えは何か?


・・お気づきでしょうか?

あの唐突な終わりの本質は、バッドエンドと同じモノです。


沙也香を殺したのは自分だった。
という真実に耐えきれず、記憶を失ったオレ悟の精神は、
その記憶に最後に残った、たった一人の存在、
黛に否定されたことで・・・死ぬ。


こころ達を救いゲームのエンディングを、グッドエンドを迎えた後に、
あの黛の言葉で唐突に終わるため、誰もあの終わりを主人公の死には、
バッドエンドには結びつけない。
ですが、プレイヤーによるゲーム世界への介入があった。
という先入観をとり除き、
オレ悟の心理と状況、
そして、
主人公が死ぬとその世界の先を知ることができなくなる、
というゲームのルールを考えれば、答えはただ一つ。



あの黛の言葉は、オレ悟の心を殺す言葉だったのです。



にわかには信じられないかもしれません。
しかし作中にその伏線はいくつもあったのです。

悟の精神は、自身の存在が揺らぐ度に、崩壊寸前になっていました。

初めて山小屋で目覚め黛と話した後、
SPHIAの隠し部屋での榎本との会話の際、
第3地点での黒髪の悟との会話の際、
彼は正気を失いかけていましたし、
様々な場面で「頭がおかしくなりそうだ。」
という言葉を漏らしています。
それは、記憶障害と転移に加え、命の危険まであった極限状況で、
無理もない心情に見えましたが、
あれらは巧妙にカモフラージュされた真相への伏線だったのだと思います。

沙也香の記憶を失っていた悟の心は、我々が思う以上に不安定だった。
沙也香の記憶を失って残った黛の存在は、我々が思う以上に大きかった。

だから、あの終わりの黛の「あなた、誰?」という言葉に、
彼はこう言ったのです。

『それは死の宣告に近い衝撃をオレにもたらしたのだった。』



だから、彼の心は、その直後に続けられた

「あなたは……」
「悟じゃない……」
「私の知っている……優希堂悟じゃないわ……」

という言葉に、耐えられなかったのです。

黛の最後の言葉は、オレ悟にとって『死の宣告』だったのです。



このゲームのエンディングリストは全部で33ありますが、

バッドエンド以外のエンディングリストが、

1.ココロ編グッドエンド

19.サトル編グッドエンド

20.サトル編エピローグ 


と、3つあるのもそのためだと思われます。
 
グッドエンドとエピローグはひとまとめにしていいはずです。
グッドエンドとエピローグの2つに分かれているのはなぜか?

そして、ココロ編のグッドエンドにも、サトル編と同じく、
スタッフロールのあるエンディングと
生き延びた後のエピローグがあったにも関わらず、
ココロ編にはエピローグのエンディングリストがないのはなぜなのか?


それは、サトル編のエピローグが死のエピローグだから。


バッドエンドと同質の主人公の死のエンドであるがゆえに、
サトル編にだけ、エピローグのエンディングリストがあるのです。


サトル編のグッドエンドとエピローグは、
かごめ歌の『夜明けの晩』なのです。
 





私はあの終わりの“本質”はバッドエンドと同じと言いました。
本質、と言ったのは、通常のバッドエンドと違う部分があるからです。
バッドエンドは、やりなおすことで、
その先にグッドエンドやトゥルーエンドがあるものです。
ですが、あのエンドは違う。
ユウキドウ計画というセルフを逃さず幽閉するよう仕組まれた計画によって、
結末が決まってしまっている。
こころ達を救い、全員と合流した時、あの黛の否定は必ず起きる。
何度やりなおそうとも、グッドエンドの後のあの結末だけは、
オレ悟の死だけは、変えられないのです。




あの終わりは、オレ悟とプレイヤーにとって、
夜明けの後の『明けない晩』


それは定められた終着点


その先のない行き止まり




バッドエンドとグッドエンドの先で待つ

不可避のデッドエンド



それがあの終わりの、あのエピローグの正体。

本当の真相。



だからこの物語はあそこで終わるのです。
あれ以上進めようがなくなるのです。



あの終わりは、

『主人公の死』を『ゲームを通してプレイヤーが見ていた』

ことによって起こった、終焉。



主人公が死ぬと終わるゲームだったがために、
その死がグッドエンドの向こう側にあったがために、
主人公の死が隠蔽され、その先に進むことができなくなり、
まるで未完成のような終わりになってしまったのです。

ゲームキャラである悟の勘違いの復讐劇の顛末を、
ゲームを通して見ていたがために、我々も勘違いさせられてしまったのです。





・本当の真相(2)


あの終わりは、プレイヤーの影響によるものではなく主人公の死――
では、ユウキドウ計画は失敗だったのでしょうか?
我々の目線、そして超越的な意思の幽閉、
という意味では失敗でしょう。
我々プレイヤーはゲーム世界に幽閉されたわけではなく、
あの終わりにわけがわからなくなり、思考のループに陥った。
それが本当の真相だからです。

しかし、黒髪の悟からすれば、ユウキドウ計画は成功になるはずです。
彼はオレ悟の死をどう見るのか。黒髪悟の立場で考えてみましょう。

彼は『沙也香の死』を超越的な意思のせいだと判断した。
それは転移装置によって起きた、死ぬ理由のない、
ありえない死だったからでしょう。
彼は『オレ悟の記憶障害』を、アイツの記憶移植だと判断した。
これも、彼の目からすれば、計画開始の矢先に発生する、
起こるはずのない、あってはならない、ありえない記憶障害だったから。
『時計台の影』も、誰も来るはずもないところに
ありえない影が現れたから、セルフだと思い込んだ。

オレ悟の死も同じでしょう。

黒髪悟は『オレ悟の死』を、
黛の否定によって『廃人』になったオレ悟を見て
『セルフを仕留めた』と考えるはずです。
我々がそうだったように、黛の否定が人の死には結びつかない。
ありえない死であるがゆえに、
沙也香の死と同じ『人格の死』であるがゆえに、
アイツの記憶を移植されていたから、
そこにセルフがいたから、
ユウキドウ計画が成功したから、
オレが『死』んだのだ。と考える。

それが、自責の念に耐えきれず、
妹の記憶を消してしまったもう一人の自分の、
最後に残った心すらも殺したことだと気づかずに


そして、計画が成功したと判断した黒髪悟は、
沙也香を救う次の行動へとうつる。
彼もいつかはオレ悟と同じように、
自身が真犯人であることに気づくでしょう。
それでも、沙也香の救済だけは間違いなく起きる。
それは断言できます。
沙也香の死と生は表裏一体、
過去の沙也香が死んでいるということは、
未来の彼女は生きているからです。
そして、おそらくですが、オレ悟のような記憶障害は起きないでしょう。
なぜなら、黛を救ったから。
黒髪悟には、時計台の悟には無い心の支えがあるからです。

セルフが自身だと知らないまま、セルフを幽閉する計画、
ユウキドウ計画によって、もう一人の自分を殺し、彼は先に進む。
その結果、過去の沙也香は死に、
過去の悟は、復讐と救済のために転移装置を作り出す。


それは無限に繰り返される――


テラバイトディスクが時をめぐる数だけ

沙也香が死ぬ数だけ

E人格が11年間を繰り返す数だけ


――オレ悟は俺悟に殺される





妹を殺した真実に気づかず、もう一人の自分まで殺した俺の物語

妹を殺した真実に気づき、妹の記憶まで殺したオレの物語 



真犯人が真実に気づかないまま、

もう一人の真犯人を無限に殺す物語


真実に気づいた真犯人が、その罪を償うかのように、

無限に殺される物語



それがこの物語の本当の真相です。


 



そしてその本当の真相を知って、様々なことが2人の悟――
俺悟とオレ悟を意味していることに気づきました。


悟の言うセルフもアイツも悟自身の事でした。
サウル(俺悟)がダビデ(超越的な意思)に投げた槍は、

ダビデには当たらなかったが、
アイツ(オレ悟という真犯人)に突き刺さった。
聖書ではサウルはダビデを狙うものの失敗し、
『自殺』してしまう結末になっていますが、
その聖書の結末が、この物語の本当の真相を示していたのでしょう。
自らをサウルになぞらえた悟は、『自分を殺していた』のです。


 
Remember11というタイトルは、沙也香とE人格だけでなく
11年前に死んだ沙也香のために生きてきた俺悟と
沙也香のことを忘れてしまったオレ悟のことも意味していた。

 

OPの文言も沙也香とE人格だけでなく、俺とオレのことも意味していた。
「同一軸より生じた双子は、不思議な運命を共有する」
「失われた半身を求めて、どこまでもどこまでも追い続ける」
「光を超えて――。 無限を超えて――。」 


ワタシを殺す記憶の迷路というキャッチコピーも、
無限の記憶の迷路に閉じ込められたE人格だけでなく、
悟と沙也香のことも意味していたのでしょう。

『ワタシ(沙也香)』を殺していた悟は、
その真実を知って『ワタシ』の記憶まで殺していた。
そして
絶望した『俺』が記憶を殺して『オレ』となり、
最後にはその『オレ』さえも殺されるがゆえの『ワタシ』
『ワタシ』は無限に繰り返す時の迷路の中で殺され続ける・・。
だから『ワタシを殺す記憶の迷路』だったのです。

 


かごめ歌も俺とオレのことを

かごめかごめ
籠の中の鳥は (悟は)
いついつ出やる (いつ目的を達成できる)
夜明けの晩に (グッドエンド後のエピローグに)
鶴と亀が滑った (俺がオレを殺すことで訪れる)
後ろの正面だあれ (悟の追い求めた真犯人は悟自身なのだから)


かごめ歌の主題も、俺とオレを意味していた。

「この世界は二律背反するふたつの要素がうまく重なりあって共存してるんだ」
「『かごめ歌』の主題はまさにこれ」
 

沙也香の死と生が重なり合って共存していたように、
虚無の人格が無限の時を繰り返していたように、
悟の計画は、虚偽と真実が、失敗と成功が、誤解と正解が、被害者と加害者が、

重なり合って共存していたのです。



中澤氏のこの言葉も、俺とオレのことを、意味していた。



>「本作のストーリーは、キャラクターたちによる“終わりのない復讐の物語”です。」

>「悟は過去に『アイツ』にひどいことをされている。
> だから呼び出して復讐してやろうと、本作はそういう物語なんです。」
 

 

これは『俺悟がオレ悟に無限に復讐する物語』
であることを言っていたのです。 



 

Remember11 -the age of infinity- は、

未完成のような終わりの裏に潜む真実を、

無限に繰り返す生と死と罪と罰を知るゲームだったのです。 







・本当の真相(3)


SPHIAで起きた事件の真相にαとβという双子の胎児の人格がいたように、
この物語の真相には、沙也香とE人格、俺悟とオレ悟という、
2組の双子のような存在が、本当の対の存在がいた。

転移装置によって生まれた、2組の双子のような存在の、
無限に繰り返す物語こそが、真の『infinity loop』

このゲームの主人公である冬川こころも、オレ悟も、我々プレイヤーも、
そのinfinity loopを変えられない。変えてはいけない。

変えてしまえば、過去の沙也香が殺されることはなくなるでしょう。

犬伏が殺されてしまうジェノサイドエンドがまさにそれです。
あのエンドでは、E人格を持つ犬伏が殺されてしまうために、
過去の沙也香の人格との交換が不可能になり、タイムパラドックスが発生、
沙也香が死なない、別の世界線になってしまった。
だから山小屋の様子が何も起きなかったかのように一変してしまったのです。

それはそれで、その別世界の沙也香と悟は救われるでしょう。
過去の沙也香の肉体にE人格が転移することもないため、
病院の殺傷事件も起きなくなり、黄泉木夫妻が潤一を失うこともないでしょう。
犬伏景子はいなくなり、カーリーが心を病むことも、悟がSPHIAにいることもなく、
こころ、黄泉木、黛達(おそらくゆにも)が、飛行機に乗ってSPHIAに行くことも、

事故にあって遭難することもなくなるでしょう。
だからあの世界線の山小屋は誰も避難することなく、きれいな状態だったのです。

過去の沙也香の死と未来の沙也香の生が繋がっていたように、
SPHIAの犬伏の死も過去の沙也香の生、そして彼らの生に繋がっているのです。

しかし、それでは沙也香の死がきっかけだった転移装置も生まれなくなってしまう。 


それでは我々が見ていたあの世界の登場人物は救われない。

だからバッドエンドになるのです。

エピローグでゆにが懸念していたことと同じです。
事故の直後に転移装置を用いてこころ達を2012年に連れ去ってしまえば、
過去が変わり2011年の遭難も起きなくなってしまう。
それでは黛の遭難を知った悟が計画を起こすことも、
山小屋に転移装置を使うこともなくなってしまう。

それでは別世界のゆには救われても、我々が見ている世界のゆには救われないのです。

だからエピローグのゆには、悟にこういったのです。

ゆに「『なぜ歴史をなぞる必要があったのか?』――いまそう言ったよね?」
ゆに「その理由をひとことで言うと『時空間転移を発生させるため』ってことになる」


転移装置を悟に使わせるために、
山小屋のゆにが過去をなぞらなければいけなかったことと同じように、
沙也香が過去に死ぬことも、オレ悟があそこで死ぬことも、
『時空間転移を発生させるため』に必要
沙也香だけではなく、こころや黛や黄泉木を救うためにも必要なのです。
 

Remember11の3つの重なり合う輪は、
SPHIAのゆに(&テラバイトディスク)と山小屋のゆに、
沙也香とE人格、俺悟とオレ悟、という3組の双子のような存在の、
変えることの出来ない無限の円環を表していたのでしょう。 
その3つの輪が重なり合う中心部にいるのが、ゲームの登場人物達なのです。



ゆにの献身と沙也香と悟の『死』は、我々が見ていた登場人物達にとって、
欠くことの出来ない歯車として成り立ってしまっている。

その歯車の名こそが『infinity loop』 


だから、オレ悟の最後の『死』が、バッドエンドにはならなかった。 
このゲームにおけるバッドエンドとは、主人公の死ではなかったのです。


このゲームのバッドエンドとは、『infinity loopという歯車を止めてしまうこと。』

エピローグにいたメンバーが誰一人欠けても、3つの歯車のいずれかが止まり、
残りの2つの歯車の動きが狂ってしまうのです。

・沙也香が殺されないと転移装置が生まれない。
・ゆにが転移装置を利用してこころ達を救いださないと、
  オレ悟がエピローグに到達できない。
・オレ悟がエピローグで死なないと、俺悟は沙也香を救わ(殺さ)ない。

3者の因果は完全に繋がっており、どれを欠いても成り立たない。
だから3つの輪は重なり合っていた。
重なり合う輪はそれぞれがなくては成立出来ない、繋がり合う状態を表していたのです。

我々プレイヤーの視点は、こころと悟という主人公の意識とリンクしていた。
だから彼らの意識が途切れれば、その時点のあの世界の様子はわからなくなる。
それに加え、彼らのいた場所が閉鎖された空間であったために気づかなかったことですが、
バッドエンドは全て過去の歴史が変わっていたはずです。

悟が死ねば、カーリーは犬伏がやったことだと判断し、迷わず犬伏を殺すでしょう。
そうすればジェノサイドエンドのように、タイムパラドックスが起きる。
こころが死ねば悟も死んでしまうため、その場合も同様。
たとえカーリーが犬伏を殺せなかったとしても、エピローグでオレ悟が死ななければ、
過去の沙也香は死なず、やはり歴史が変わってしまう。

主人公の意識とリンクしていた我々は、ほとんどのバッドエンドで、
歴史の変化を眼にすることが出来なかった。
あるいは、眼にしていても世界線が違うことに気づけなかった。

新聞記事や山小屋の様子が変わるバッドエンドが特別だったわけではなく、
他のバッドエンドでは、歴史の変化、世界線の違いに気づくことができなかったのです。


2つのグッドエンドとエピローグだけが、
3つのinfinity loopが繋がり、歯車が正しく回っている状態だった。


エピローグのオレ悟の『死』は、我々にとっては終着点でも、
『時空間転移を発生させるため』という意味では、通過点――


――その先にのみ、転移装置の発生が、沙也香の『生』と『死』がある。

優希堂兄妹は無限に殺され無限に殺し無限に救う。
infinity loopは繰り返される。終わることなく永遠に――



だから、エピローグの後にこう記されていたのです。




This story has not finished yet.

Truth is not revealed.

And it circulates through an incident.

  ----it is an infinity loop!





この物語は、infinity loopを打ち破る物語ではなかった。

救うために、救われるために、infinity loopを成立させなければいけない物語だった。
 


我々プレイヤーは、彼らのinfinity loopの中に迷い込み、
その歯車が正しく動くよう手助けしていたにすぎなかったのです



TIPSの92にこうありました。

最終レベル
それが行われたとき――
仮初めの世界――『Imaginary』は失われ……
世界の掛橋――『Symbolic』を経て……
真理の世界――『Real』は姿を現す。
『第3の眼』の開眼とともに――――。



仮初めの世界とは、おそらく、ゲームを通して見るあの世界
掛橋とは考察
真理の世界とは、infinity loopあってこそ成立するという真実。あの世界の真理のこと

第3の眼の開眼とは、
オレ悟の死と、それによって生まれるloopの存在を、
ゆに、沙也香に続く、3つ目のloopの存在を知ること
3つの輪の真相、3つのinfinity loopの真相を知ること



真理の世界を知ったことによって、別の真相、いえ、本当の真相も顔を出す――



その真相を知る前に、真相を知るためにも、
エピローグの先の話とエンディングリストの話をします。
少し長くなりますが、どうか読み進めていただければと思います。




infinity loopを成立させながらも、
こころ、黛、黄泉木は救い出された。

それは、世界を騙し掠め取った。とも言えるでしょう。

スリが相手に気付かれないように財布を抜き取るように、
世界から、変えてはいけない過去の中から、彼らの『生』を抜き取った。

それが可能だったのは、彼らの死に関して、世界に騙す余地が、隙があったから。

新聞記事にあったように、
『事故から半年後に、身元の断定も不可能なほど腐乱した3体の死体を発見し、
  行方不明の3人だと特定した』
という世界の認識は、すなわち
『体格、性別、血液型が同じ3体の腐乱死体があの場所にあれば、
  それはこころ達だと特定される』
という隙。だった

ゆにと俺悟は、身代わりになる死体を用意し、
世界を、過去を、歴史を騙した。
だから、歴史の変わるバッドエンドでは新聞の内容が変わっても、
ココロ編のラストでは、変わることがなかった。
こころが助かっているにも関わらず、
新聞が死亡記事のままだったのは、
ゆにと俺悟が歴史をなぞることに、世界を騙すことに成功した証。

では、そこから伺い知れる彼らの未来はどうなるのか。

・・あまり明るいものではないと思われます。

なぜなら、命を救われた代償、世界を騙した対価を求められるから。

彼らが救われるために別の誰かの死体が用意され、
彼らは死んだことになったままになっている。
それはつまり、彼らが表立って社会に戻れないということ。
2012年の人間だったオレ悟やカーリーが、彼らの死を認識していたということは、
最低でも2011年の間は、生きていることを世界に知られてはいけない。
知られればinfinity loopの歯車は止まり、
タイムパラドックスが起きてしまうのです。

助けられたこころが、2011年に戻り大学生活を再開する。
黛が弁護士業を再開する。
などということは出来ない。やってはいけない。
それは俺悟とゆにの苦労を無駄にすること。

彼らは2011年には帰れない。

このことから、ココロ編のラストシーンの『7月20日』とは
『2012年の7月20日のこと』だと考えられます。
彼らは2012年の世界に連れ出され、そのまま半年を生きたのでしょう。

そしてあのシーンが2012年7月なら、すでに沙也香も救われていると思われます。
なぜなら、悟にはできるだけ早く沙也香を救わないといけない理由があるから。
それは『ライプリヒにバレる前に全てを終わらせないといけない』という理由。
悟と榎本はライプリヒ製薬という組織に所属しています、
その組織の技術や資金があってこそ作り上げられたであろう時空間転移装置、
おそらく2人はこの装置を盗んで、朱倉岳、青鷺島、穂樽日に使用した。
なぜなら、時空間転移装置は、言い方を変えればタイムマシンです。
タイムマシンを、20代のたった2人の研究者にまかせる組織があるでしょうか?
その上、タイムマシンを使用したユウキドウ計画は、
悟の私情が100%入り込んでいます。
組織はそのような身勝手を許さないでしょう。
そのため、盗んで使用したとみて間違いないと思います。
ゆえにできるだけ早く全てを終わらせないといけないわけです。

・・すみません、少々脱線しました。話を戻しましょう。

では、2012年ならこころ達はその生存を表に出せるでしょうか?

タイムパラドックスは起きないかもしれませんが、
今度は現実的な面で難しいでしょう。

なぜなら、身代わりの死体が存在した言い訳が出来ないから。
事故から1年以上もの間、どこで何をしていたのかも説明出来ない。

彼らが社会に出られたとしても、名を変え、別人になりすますことになる。
あるいは社会から隔絶した山奥や島、海外・・、
いずれにせよ事故が起きるまでの生活を全て捨て、
逃亡犯罪者のような暮らしを送らざるを得ないでしょう。

これが、命を救われた代償、世界を騙した対価です。

だから、こころはあのラストでこう言ったのです。

『私は、確かに『籠女』だったのだ……』

籠女とは、籠の中に閉じ込められた鳥のように、不自由な自分のこと。

生存を明かすことが出来ず、隠れるように生きなければならない
束縛された自身の状況のことを言ったのでしょう。


・・せっかく救われていたのに、暗い未来しかないように言ってしまいましたが、
中澤氏はこういっています。

>これは登場人物は救われるけど、見ている人間は救われない物語なんです。

救われた彼らには、それぞれ支えてくれる人がいる。
こころにはゆにが、黛と沙也香には俺悟が、黄泉木にはカーリーと双子がいる。

不自由な生活を強いられることは間違いないですが、
それでも彼らはお互いを支え合い、幸せに生きていくことになるのだと思います。



・・と、ここまでが、本当の真相に至るまでにわかっていた考察。


ぶっちゃけてしまうと、
本筋の真相とは関係がないし、あえて言わなくてもいいか。
と、今まで記さなかった考察です。

しかし、infinity loopの真相を、真理の世界を知って
そうではなかったことに思い至ったのです。

オレ悟は作中でこう言いました。
「全ては、誤解だった。」
このゲームは、数多の誤解、勘違い、思い込みがあり、
謎を解いていくうちに
『そうではなかったのか。』
ということに幾度も気付かされるゲームでした。

それをふまえた上で、一体何がそうではなかったのか
そして、その果てには何があるのか、話をさせていただきます。




私は、本当の真相(1)で、
オレ悟が死んだからエンディングリストにエピローグがある。
つまり、
ココロ編のエピローグがリストにないのはこころが死んでいないから。
と結論付けました。

そうではなかった。

あのエンディングリストは通常のゲームの範疇からかけ離れたものだったのです。

あのエンディングリストは『真理の世界のリスト』

バッドエンドは主人公の死ではなく、infinity loopの歯車を止めてしまうこと、
グッドエンドは歯車が止まらなかったこと、
エピローグは、オレ悟の死であると同時に、途切れかけたloopの結合点。

だから、あのエンディングリストは順番が奇妙だったのです。

1.ココロ編グッドエンド
19.サトル編グッドエンド
20.サトル編エピローグ

通常のゲームなら、エンディングリストの順番は、
プレイヤーが経験するであろう順のはずです。
なのにグッドエンドがバッドエンドより先にある。それはなぜか

それは、真理の世界にとって、
グッドエンドこそが正道であり当たり前のことだから。
無限に繰り返すことによって成り立つ世界にとって、繰り返すことは当たり前。
我々プレイヤーにとってバッドエンドは『よくあること』であり、
『乗り越えるもの』ですが、
繰り返す世界にとってバッドエンドは『あってはならないこと』であり、
『世界を壊す異常』なのです。

だからこのゲームには、
『特定のバッドエンドを経験しないと、グッドエンドへの道が開かない。』
というような、条件や制限が無かった。

プレイヤーがバッドエンドを乗り越え、グッドエンドを掴み取る物語ではなく、
『グッドエンドを繰り返す世界の物語』だったから。

プレイヤー視点が抜けきれていなかった私は、
プレイヤーはあの世界に迷い込み、infinity loopが成立する手助けをしていただけ
と言いましたが、そうではありませんでした。

真相はその真逆。

真理の世界にとってプレイヤーは不要な存在。
プレイヤーはinfinity loopという歯車の間に突然現れた小石のようなもの。
選択肢という形で登場人物の思考に影響を及ぼし、世界を乱し、
本来の歯車の動きを阻害する、別次元から来た異物。
『超越的な邪魔者』だったのです。

幸い、その邪魔者には時間を遡ってやり直す超越的な力があった。
だから世界が壊れることはなかった。
しかし、プレイヤーがあの世界に迷い込まなければ、
あの大量のバッドエンドはなかったのではないでしょうか?

だからエンディングリストはあのような順番だったのです。


・・このように、真理の世界とはプレイヤーの常識が全く通用しない世界。

オレ悟の死まで謎を解き、3つのinfinity loopに気づいた上で、先入観や常識を捨てないと
Remember11というゲームの謎は、その真の姿を見せてくれない。
そんな構造になっていたように思います。


では、その真理の世界のエンディングリストに、
ココロ編のラストがないのはなぜか?

それは『infinity loopの外にある結末』だったから

2012年7月のあのラストだけが、沙也香、悟、ゆにの3つのloopの外にあった。
真理の世界の外のシーンだったから、こころのラストシーンだけがリストになかったのです。



ココロ編のラストシーンで、彼女はこう言いました。
『私は、確かに『籠女』だったのだ……』

自由に生きることのできない、籠の中に閉じ込められた女

彼女の視点から見ればその通りでしょう。

しかし、真理の世界から見れば、そうではない。

彼女はinfinity loopという籠から抜け出した鳥
かごめ歌の籠の中の鳥は、籠から飛び立っていた。

エンディングリストにないあのラストだけが、
3つの輪で出来た籠の外、infinity loopの外にあったのです。




では――




真理の世界のリストに載らない終わりを、
冬川こころの、あのラストシーンを、
『3つ目の瞳』、我々の視点から見た場合、なんと名付けるか?




infinity loopの歯車を止めないことがグッドエンドなら、
止めずに命まで救えたエンドをなんと呼ぶか?




真の世界の理を守りながら、俺悟とゆにの願いまで叶えた、
『これ以上を望めない結末』を、なんと呼ぶのか?







トゥルーエンド






こう呼ぶ以外に、ない。





前編のエピローグに過ぎないと思えた、あのラストはエピローグではなかった。

あの不穏な雰囲気だったココロ編のラストシーンこそが、
この物語の最上の結末、トゥルーエンド。

無限に繰り返す世界には終わりはなかった。


真理の世界の外にある彼女のラストシーンが終わりだったのです。


おそらくこれも『第3の眼の開眼』によって現れる『真理(Real)』




これがRemember11の最後の真相




・・・・では、ないのです。



このゲームは、トゥルーエンドを知ることすら真の終わりではない。

トゥルーエンドを見つけた先にある
前代未聞、唯一無二の
『仕掛け』
の存在に気づくこと、
気づいて初めて見えるもの。
それこそが、最後の真相
Remember11というゲームの真の姿――



では、その『仕掛け』とはなにか?



PS2版の初回特典で、中澤氏はこうコメントしていました。


>本作には、中澤がこれまで培ってきた様々なものを注ぎ込んだつもりだ。
>7年間というゲーム製作過程で得たもの、27年間というまだ短い人生の中で知ったものを…。
>まさに中澤にとって、ひとつのターニングポイントとなる作品だと言えよう。

>皆さんは、この作品のすべてのクリアリストを埋めたとき、何を感じるだろう?
>何も感じないかもしれない。あるいは何か感じるかもしれない。
>願わくば、何か感じ取ってくれたとしたら、
>それは中澤が訴えたかったものであるように、 と、そう祈ってやまない。
>もし、ちゃんとそれらがイコールで結ばれたとしたら、中澤は嬉しくて嬉しくて堪らないのだから。

>中澤が訴えたかったテーマ。 それは…。

>This story is not end yet.――it is infinity loop!



>クリアリストを埋めたとき、何を感じるだろう?
>それは中澤が訴えたかったものであるように、 と、そう祈ってやまない。


私はこの言葉を、サトル編のグッドエンドとエピローグが
かごめ歌の『夜明けの晩』の関係性になっていることだと思っていました。

そうではなかった。

オレ悟のエピローグが、真理の世界にとって通過点だったように、
『夜明けの晩』も『かごめ歌の通過点』だった。

では、リストにない、トゥルーエンドに気づくこと?
確かにそれは『本当の意味ですべてのクリアリストを埋めたとき』です。
(『エンディングリスト』を『クリアリスト』と呼んでいるのは、言い間違いではなく、
  意図的なもの? 真理の世界のエンディングリストは33だが、クリアリストは34という意味?)
一度は、これだ!と思いましたが・・、これも、そうではなかった。


中澤氏が訴えたかったであろうこととは、
かごめ歌の終着点は、
このゲームの最後の真相は、
その2つの答えの延長線上にある。


それは『エンディングリストにない、こころのラストシーンの名を呼ぶ』こと――


その『行為そのものの意味』に、気づくこと――





・・・お気づきでしょうか?





『見えないモノの名前を推測し、言い当てる』





この行為が『かごめ歌の遊びと同じ』だということに






サトル編のグッドエンドとエピローグが、
かごめ歌の『夜明けの晩』なら、

ココロ編のラストは、かごめ歌の
『うしろのしょーめん、だぁーれ?』

だから、冬川こころのラストシーン、トゥルーエンドも、
同じ言葉で締めくくられていた。




「うしろのしょーめん、だぁーれ?」

と、言われ、その名前を答える。

名前を答えて、初めて、終わる。

それが、かごめ歌。

それが、このゲーム。


だから、このゲームは終わらなかった――



――誰にも、その名前を呼んでもらえなかったから





このゲームの本当に重要なことは、いつも見えないところにあった。

それはきっと、このゲームがかごめ歌のようなゲームだから

かごめ歌が『目を塞いで行われる遊び』だったから



中澤氏の訴えたかったものとは、きっと、

『Remember11はかごめ歌のようなゲーム』ということ

それが、このゲームを読み解いた果ての最後の真相、

Remember11というゲームの真の姿






Remember11 -the age of infinity- は、

未完成でも、終わりのないゲームでもなかった。



そうだとわからない形で、トゥルーエンドまで用意されていたゲーム。



あることすら気づかれないであろう、そのトゥルーエンドを言い当てるゲーム。



見えないものを探り当てる、かごめ歌のようなゲーム。



それを知ることで、本当の意味で終わるゲームだったのです。



・Remember11とEver17





※注意

ここから先はEver17の重大なネタバレを含みます。
未プレイの方は、Remember11を楽しむためにも、
是非Ever17をクリアしてからこの先を読んでください。










ここまで考察を進めてきて、
Remember11はEver17と切り離せない物語だと思いましたので、
その関係性について話をさせていただこうと思います。

まず、PSP版特典、Remember11プレミアムファンブックの冒頭の記述を
転載させていただきます。


>――「Infinity」シリーズで屈指の難解さを誇る『Remember11』ですが、
>まずは本作の企画を思いついた経緯を教えていただけますか?
>中澤工氏:当初は「雪山と閉鎖空間にある施設を舞台に、
>人格転移現象で人格が入れ替わっていくサスペンス」ということだけが決まっていて、
>それを基にプロットを組んでいました。でもそれだけだといまいち深みがない。
>どうしても最後のひと味が思いつかなくて、打越鋼太郎さんと飲みに行ったんです。
>その時、飲み屋で酔ってふらついた拍子に、頭を天井にぶつけてしまった。
>すると、一部始終を見ていた打越さんが「それだ!」と。
>僕は、何も頭をぶつけようと思ってぶつけたわけではない。
>かといって、ぶつけたのは他ならぬ僕自身。
>「なぜやってしまったのかが分からないけど、確かに自分自身がやってしまった」。
>そういうのをサスペンスに落とし込もう、というのがすべての始まりでした。
>『Ever17』は、ブリックヴィンケルという、プレイヤーと同格の視点をゲーム内に登場させて
>問題を解決することで、ゲーム世界に没入しているユーザーを解放する物語でした。
>でも、そういう存在がゲームの世界に与える影響はいいことばかりじゃないだろうと。
>むしろそういった存在の干渉が先程した話のように、頭をぶつけてしまうかもしれない。
>ではそうなった時に、キャラクターたちは『得体の知れない何か』に対してどういう感情を持つだろうか?
>これなら『Ever17』と真逆のテーマなので面白くなるだろうと思いました。


 「なぜやってしまったのかが分からないけど、確かに自分自身がやってしまった」

本当の真相を知った今、まさにこの通りの物語だったのだと思います。

俺悟の妹を救おうとした行為が、全ての元凶となってしまった。

我々プレイヤーも、あの世界の登場人物を救おうとして行動したはずです。
真実を知ろうとして行動したはずです。
なのに、あの世界を乱し、バッドエンドを増やすことになってしまった・・。
 

>何も頭をぶつけようと思ってぶつけたわけではない。
>かといって、ぶつけたのは他ならぬ僕自身。
 


この通りの物語だったわけです。


そして
『Ever17』と真逆のテーマ
これも、その通りだったのだと思うのです。

 

Remember11はEver17の真逆、
Ever17がプラスなら、Remember11はマイナスだと思います。

なぜなら、Ever17にあるモノが、Remember11は無い。
もっと言うなら、
Ever17をクリアしたプレイヤーが『期待するモノ』が、
Remember11には無い。そう思うからです。


「Ever17で良かったと思うところはなんですか?」
こう問われたら、あなたは何を思い浮かべますか?
そして
「その良かったところはRemember11にありましたか?」
と、問われたら、おそらく、無いと思われるのではないでしょうか?


第3視点(BW)、最終章(ココ編)、伏線の回収、大団円・・


私はEver17も大好きですが、Ever17で良かったところが、
感動させられたところが、Remember11には、無い。
それも、あって欲しいと期待するモノが、あるかのように思わせて、無い。
そんな内容になっていたように思うのです。


Ever17の第3視点によるゲーム世界への介入
Remember11は、介入しているかのように思わせて、全て悟が原因でした

Ever17ではココ編で伏線を見事に回収し大団円を迎えました。
Remember11は、伏線を回収し大団円を迎えた。と思わせて、
あのような終わりが待っていました。ココ編のような解答編はありませんでした。
 

Ever17の茜ヶ崎空は、AIでありながら心がありました、そして最後には体を得ました。
Remember11のオレ悟は、記憶を失っていました。
記憶は最後まで戻ることなく、それどころか心まで殺され廃人になり、体だけが残りました。 


Ever17は、奇跡を掴み取り、infinity loopを覆す物語。
Remember11は、変えてはいけないinfinity loopに翻弄される物語。
infinity loopを守り、繋ぎ止めなければならない物語。

Ever17のプレイヤーは、あの世界の奇跡の担い手。救い主。
Remember11のプレイヤーは、あの世界を乱す異物。邪魔者。


 『Ever17』と真逆


実に見事なほどに、逆だったのだと、今思うのです。 



さらに、そのテーマを巧妙に謎に利用していたのではないでしょうか。
Ever17をクリアしてRemember11をやるユーザーはまず間違いなく、
『第3視点は何かやってくれる。』と期待する。思い込むはずです。
Remember11は、そんなEver17ファンの期待を逆手にとった
演出と謎になっていたように思うのです。

セルフやアイツという存在と、
その存在によるゲーム世界への介入を示唆しながらも、
全てはゲームキャラである悟の仕業であり、
プレイヤーの介入はなかったという本当の真相。

プレイヤーがゲーム世界に介入しているであろう。という
思い込みが強ければ強いほど、その真相は見つけにくくなる。
私自身、セルフの正体を見つけるまでにゲームが発売されて16年、
アイツの正体と本当の真相を見つけるまで、そこからさらに2年かかりました。

Ever17にとらわれているほど、Remember11にもとらわれる。真相が遠くなる。

この物語の謎は、前作プレイヤーの思い込みまでミスリードに利用した、

驚くべき謎だったのではないでしょうか?


 

私は、Ever17がプラスなら、Remember11はマイナスと言いました。
Remember11に隠されたテーマがあるとしたら、
それは『喪失』なのではないかと思います。
登場人物は皆、大事なモノを失っていた、あるいは失う物語
そんな、それぞれの喪失が複雑に絡み合った結果、
最後にはオレ悟が心を失い、こころはオレ悟を失い、
我々プレイヤーは先の物語を失う。
そんな喪失の物語ではなかったのかと。
そして、その失われた中から真実を見つけ出す物語ではなかったのかと、
私は今思うのです。
 

『ユウキドウ』計画がカタカナであることも、 

冬川こころと優希堂悟の物語が、『ココロ』編と『サトル』編と
カタカナになっていたのもその表れだと思います。
俺悟が真実を知って沙也香の記憶を失ったから『オレ』悟になったように、
沙也香を失って生まれた計画だから、

あの終わりでオレ悟は心を失うから、こころはそのオレ悟を失うから、
カタカナ表記だったのではないでしょうか。
(ゲームとは違う終わり方を迎える小説版では、こころ編と悟編という表記になっています。)





・Remember11は未完成?


2020年9月に公開された、KIDメンバーによるスペシャル座談会
Remember11は未完のまま発売したという告白がありました。
セルフの真相を見つけ浮かれてサイトを立ち上げた私には
登っていたハシゴを突然外されて頭から落ちたような衝撃でしたが、
どうしても納得できない点が複数ありますので、
この際ですので見解を述べさせていただきます。


まず座談会の一文を転載させていただきます。

>市川:
>「Remember11」は完全な続編として最初から作っていて、
>これも結構事件が発生してるんですよね。
>これはね、別にネタバレしてもいいんでしょうけど、
>もともと全3章からなってたんですよ。
>で、時間がなくてどうしても3章目が作れなかったんですよ。
>そこで断腸の思いで未完のままの状態で売ることになったんです。 

>――それはユーザーは気づいていらっしゃったのでしょうか?


>市川:
>激バレですね。その後、一生懸命頑張って続編を作ろうとしてたんですけども、
>いろいろあってできなくなって。

>柴田:
>でも、2章で一応終わる形にしたおかげで、その後に続く3章の部分、
>元のネタ自体が割と使えなくなってて。やるとしたら大きく作り変えになっちゃう。 

>市川:
>ユーザーが自由にね、終わりを考えてくれるんですよ。
>いろんな人が解釈、たぶんこうだろうというのがバーッといっぱい。
>こっちのほうが面白いかもってなって。

>市川:
>この後これよりつまんないもの出したらカッコ悪いしなって、
>だんだん(作品が) 出しづらくなっちゃったんですよ。 



まず最大の疑問ですが、このサイトでも度々コメントを引用させてもらっている、
監督の中澤氏は、ご自身のHPやゲームの特典で、
Remember11は、完成品としてリリースした。
と明言されています。
市川氏、柴田氏も製作者であるにもかかわらず、完全に食い違っています。
なぜ製作者間でこのような食い違いが生まれるのでしょうか?

時間がなくて作れなかった。ということですが、これも疑問です。
ゲームのクオリティに時間がないことで発生するであろう粗が、
全く感じられないからです。
シナリオもそうです。
ここまで考察してきた者として断言しますが、
このゲームのシナリオは完成しています。
Ever17の逆のテーマを持った物語として、主人公が死ぬ物語として、
主人公が死ぬからこそ、その先の物語が、第3章がない。
まるで未完成のように見えていても、それは、確固たる理由があってのこと。
失う形で完成している物語なのです。
時間がないから無理やり仕上げた未完成の物語とは、
私には、どうしても思えないのです。


続編を作ろうとして出来なかった。
大きく作り変えになる。という点も疑問です。
3章のない未完の状態だと言っているにも関わらず、本来の形で出せない・・?

時間がなくて3章をカットしたというのに、
大きく作り変えないといけないほど変更したのでしょうか・・? 

それ自体はあることかもしれません。
しかし、PS2版以降に、PC版、PSP版、スマホ版に移植され販売しています。
時間がなくて未完成の状態で発売したというゲームを、
修正もできないまま、様々な媒体で販売を続けていたというのは
おかしいのではないでしょうか・・?



製作者なのに真相を知らない?
なんらかの理由で、未完成だと思い込ませようとしている?
そんなことまで考え悩みましたが、打越氏のコメントと、
私自身が2年前にあとがきに記した言葉で、答えが出た。・・ような気がします。

 

PS2版初回特典冊子の打越氏のコメントを転載します。

>今回の作品……サウンド、グラフィック、システム、およそすべての点に於いて
>今までで最高のクオリティが保たれていると思います。
>スタッフのみんな、関係者の方々、全員が一丸となって
>全精力を注ぎ込んだといっても過言ではありません。このことは確かです。
>もちろんシナリオも同じで、ぼくも、他のライターさんも、
>一切の妥協を許さず、精一杯この作品に取り組んできました。
>誇張表現でも何でもなく、本当に、心身ともに満身創痍になるほどの戦いでした。
>しかしながら、努力の量と評価の高さは必ずしも一致するとは限らず……。
>ぼくが今いち自信を持てないのはそういった理由によります。
>ところで、ぼくは今回、infinityシリーズの3作目にして初めて企画原案を行いませんでした。
>つまり、いちライターとしてRemember11というプロジェクトに参加したというわけです。
>ですが、正直に言うと、原案をやるのとやらないのでは
>大違いであったというのもまた事実です。
>ここだけの話ですが、監督さんとぼくの間には、しばしば激しい軋轢が生じたりしました。
>お互いが「プレイヤーのことを最優先に考える」
>という点では共通していたのですが、 その方向性が全く逆になってしまったのです。
>無論、どちらが正しいとか、正しくないとかそういう問題ではありません。
>それぞれ、表現者としての信念が、真逆のベクトルになってしまった……
>ただそれだけのことです。

初回限定盤の特典でこのようなコメントを出されているので、
よほど思うところがあったように見受けられますが、
 

>一切の妥協を許さず、精一杯この作品に取り組んできました。 

この一文だけでも、 市川氏、柴田氏の言葉と全く違うことがわかります。


そして、ここで言われる、
『自信の持てない部分、方向性の違い』とは、
Ever17とは逆の、
作中で答えを出さないまま終わる物語
であることを言っていたのだと思います。

答えを出さず、プレイヤーに答えを委ねる。
ということに疑問を抱いていたのだと思います。

事実、その疑問や不安通りの結果になってしまったのではないでしょうか?
作中で答えを出さなかったゆえに、プレイヤーはその答えに辿り着けず、
多くのプレイヤーが、不満や批判を抱いたり、この物語は未完成だ
という評価を下すことになってしまった・・。


そして、2年前、私は1つ目の真相を見つけたあと、
あとがきにこう記しました。
>真相に辿り着いて初めて完成するゲームは、
>すなわち真相に辿り着けなければ未完成。 



市川氏や柴田氏は、この辿り着けない状況を含めて、
このゲームを未完と言ったのではないでしょうか?


このゲームは、主人公が死ぬがゆえに第3章がない。
何故そのような終わりを迎えたか、プレイヤー自身が探し出すゲーム。
そして、そんなゲームの最大の問題点があるとするならば、それは
謎の難易度が高すぎたことではないでしょうか?

いかに物語が素晴らしいものでも、
その真相に辿り着けるものがいなければ、それは完成したと言えない。
そう判断した上での、未完という告白だったのであれば、
修正しないまま販売を続けたということも、
ユーザーの自由な解釈が面白い。という言葉も、
『未完成』ではなく『未完』と言ってることも納得できます。


もっとも、時間が足りなかった。という言葉はどうしても
自分の中で解決できませんでしたし、
結局これはゲーム制作の内情も、製作者の心情も知らない、
私の想像でしかありません。

でも、もしそうだったら、実に面白いと思うのです。

完成品でもあり、未完でもある。

二律背反するものが重なり合い共存している。という、かごめ歌の主題に、
ゲームそのものが当てはまっているということになりますから。



















あとがき(2020.3)


こんなところまでお読みくださりありがとうございます。
このようなHPを作るのは初めてで、加えて無学な自分の拙い文章が
お目汚しになっていなければいいのですが。

さて、悟真犯人説とその真相、いかがでしたでしょうか?
この説は2018年の夏に、2ちゃんねる(現5ch)の
Remember11スレッドで考察のやりとりをしていた際に、
ふと『あのエンディングの後、悟はどうするんだろうな』という考えになり、思いついたものです。
たんなる思いつきだったものの、考えれば考えるほど、悟が沙也香を救おうとするのは当然だし、
救うとなったら人格交換を使うしかなく、救うために殺すしか手段がないな。と、
すとんと胸に落ちたのを覚えています。
そしてこの考察をいつかはまとめてきちんとした形で公開したいと思いながら、
仕事に追われ1年半が過ぎてしまいました。
Remember11発売から16年、今更・・誰が読んでくれるのこれ・・
と、自分でも思わなくもないのですが、
思いついてから1年半経っても、胸に残った火は消えずにくすぶり続け、
時間が出来たこともあり、こうして公開させていただいた次第です。
公開するにあたって、特典資料や過去のコメント集等を読み返しながら文章を作成していると、
ああ、そういうことだったのか・・。と
空いていたパズルのピースが、次々と当てはまるような不思議な感覚と感動を覚えました。

・・ここまで書いておいてなんですが、これはただの妄想の暴走で、
全くの見当違いの考察と感想かもしれません・・。
でも、もしこれが本当に真相だったのだとしたら・・・。
それは、信じられないほど斬新なゲーム。そして同時に、すさまじく危ういゲームですよね。
三次元の存在であるプレイヤーの思考が、二次元のゲームの世界に捕らわれてしまうがゆえに、
ゲームが正しい形で終わらない。
そして真相に辿り着いて初めて完成するゲームは、すなわち真相に辿り着けなければ未完成。
プレイヤー達が考察を繰り返して真相に辿り着いてくれることを期待して作られたであろう
この物語は、16年もの間理解されず、多くの人間に未完成として
低評価を叩きつけられていたのだとしたら・・。

中澤氏のコメントを見ていると、悔しさと反省をにじませながらも、
その評価をしっかり享受されていて、敬意を示さずにはいられません。
私のような愚人が、もし中澤氏や制作陣の立場だったら、この結果を享受することはまず無理です。
一般人のふりして、考察サイト立ち上げて真相を暴露しているかもしれません。
隠されつつ見つけてくれることを期待して作られていたであろう真相が
それがあることさえ知られず埋もれたままなのですから。

R11はPS2発売前に、異例のPCでの体験版を配布を行い、関連作にも妥協が無く、
本編も含め異常なほどクオリティが高いものでした。ドラマCDなど今聞いても鳥肌モノです。
内情は知りえませんが、KIDの全力を注いでいたといっても大げさではない意気込みを感じました。
ですが、蓋を開けると多くのプレイヤーがラストシーンに困惑、
謎を解決するセルフ編があるはずだと探し回るものの、それがないことが判明し大炎上。
前作Ever17ファンは裏切られたと憤慨、多くのプレイヤーから未完成だと叩かれ、
当時は荒れに荒れたと記憶しています。
そんな状況でも、infinity loopから、その迷路から抜け出すのは、
プレイヤー自身の力でなければいけない。と
制作側が外からその迷路を壊すようなことはしてはいけない。と
真相を明かさず黙してすべての評価を受け入れた。としたら・・

クリエイターの方からすれば、造り手としてそんなもん甘んじで受け入れるのは当然だ。
と怒られるかもしれません。
それでも私は、その姿勢に敬意を示さずにはいられないのです。
そして制作陣すべての方に、このような感動をくださったことに心から感謝を。
素晴らしいゲームをありがとうございました。
そしてここまでお読みくださった皆様にも感謝致します。
あなたの心に当時と違うなにかが生まれていれば嬉しいです。
ありがとうございました。



2020/9/27 追記:KIDメンバーによるスペシャル座談会
Remember11は未完のまま発売したという告白がありました。
元々は全3章構成だったものの時間がなく、3章目を作れずに未完のまま発売した。ということですが、中澤氏は特典や自身のHPで、Remember11を完成品として送り出した。と発言されており、製作者お二人の発言に食い違いが見られます。
双方どちらの意見も正しいのだとすれば、当初予定されていた章はなくなったが、それでも完成品として仕上げられた作品。ということになるのでしょうか・・?
この作品は、未完成ではなく、ちゃんとした理由があって作られたものです。
という前提で考察をしてきましたが、まさかゲーム発売から16年も経って考察サイト作ったあとに、
こんな告白があるとは夢にも思いませんでした・・。




2022/6/12 追記

はい、見事に騙されましたー。
この物語はプレイヤーや超越的な意思が介入していたわけでも、
幽閉されるわけでもありませんでした。
ゲームを通して見ていたがためにあのような終わり方になってしまった。
我々が見ていなくても、沙也香の死と生、E人格の無限地獄、
オレ悟の無限の死は起こっていたのです。

このゲームは、ゲームのルールすらも利用して
ゲーム丸ごと使ってプレイヤーを騙しにくる前代未聞のゲームだったわけです。
難解な謎をいくつも解いて初めてそれがわかるゲームだったのです。
やたらと多かったバッドエンドもその布石でしょう。
死のエピローグをエンディングリストに紛らせるため、
そしてどちらかの主人公が死ぬと、もう一方もバッドエンドを迎えるという、
死がリンクしたバッドエンドだったことも、
『冬川こころが生き残ったのだから、優希堂悟も生き残るに決まっている。』
という思い込みを自然に植え付けようとしたのではないでしょうか。
前シリーズの内容や、製作者による未完成であるという告白も含め、
ゲーム丸ごと、ゲーム外すらも利用してプレイヤーを騙しに来る、
そんなゲームだったようにさえ思えます。
本当に前代未聞のとんでもないゲームでした。まいりました。


ご覧になられている方は、考察が途中で全く変わる結果になってしまい申し訳ありません。
元々このサイトは、セルフ=悟であるという結論に至り、
それこそが真相だと思い立ち上げたものですが、
それ以後に、E人格の真相や、本当の真相に気づき、次々と追加していったため、
読みづらい内容になってしまっています。
書き直そうかとも考えたのですが、プレイヤーを騙すゲームであることも鑑み、
騙された人間である私の思考経緯をそのまま残させていただきます。



2022/11/17

もはや多くは語りません。

感動と感嘆と感謝を込めて、あえてこう言わせていただきます。

Remember11は、稀代の『迷』作だと

およそ全てのプレイヤーを迷わせ、製作者すら迷わせた迷作。

迷作の中の迷作

こんなすごいゲームは、後にも先にもこのゲームだけでしょう。
私の中の『後ろの正面』は、Remember11で固定されてしまいました。

おそらくですが、このゲームの謎を解くことが出来た初めてのプレイヤーになれたことを、
本当に幸せに思います。

心からこう言わせていただきます。

ありがとうございました。